食行動
前川文彦・矢田俊彦
(自治医科大学・生理学)
はじめに:
日本でも西洋的な食事の摂取と関連して肥満症やそれに伴う糖尿病、動脈硬化、高血圧などの生活習慣病の発症率が年々増加している。また、疫学的研究によると神経性食欲不振症や過食症患者の発症率も世界的に増加している。摂食やエネルギー代謝の研究は近年、このような時代の要請に加え、分子生物学の進歩と相まって飛躍的に理解が深まりつつある。さて、摂食、代謝やそれらの異常が原因となって引き起こされる病態には明確な性差が存在するが、その性差の仕組みを探る研究は必ずしも大きく進展していない。ヒトと同様に、基礎研究の対象となる実験動物でも雄性動物の方が雌性動物よりも摂食量は多いが、体重や体組成に大きな性差があること、雌性動物では発情周期や妊娠、授乳� �どライフサイクルに伴って複雑な摂食、代謝の変化を示すこと(Tarttelin and Gorski, 1971)などの理由から、雌雄の比較を厳密に行うことは難しく、摂食と代謝の性差を調べる障害となっている。現在の摂食行動に関する脳内制御機構の模式図の多くは雄性動物をモデルとして描かれている。しかし、その模式図が必ずしも雌性動物にも当てはまるとは限らない。将来の性差医療に資するためにも、食行動の性差研究の発展は必要であると考えられる。この章では食行動の性差に関する現在までの知見を紹介し、今後の検討課題について考察する。
末梢組織と摂食関連ホルモンの性差:
ヒトを含めた多くの動物で体重、体組成に関して顕著な性差がある。多くの種では雄は雌より体重が重い。ヒトでは同身長・同体重の成人を比較すると男性に比べて女性は筋肉量が少なく、脂肪量が多いが、そのことは実験動物であるラットやマウスにおいても当てはまる。
白色脂肪組織に注目すると、男性は全脂肪分のうち内臓脂肪の比率が高いのに対して、女性では皮下脂肪の比率が高い(Wajchenberg, 2000)。男性から女性への性転換者がエストロゲン投与を受けると皮下脂肪が増加し、女性から男性への性転換者がテストステロン投与を受けると内臓脂肪が増加するという報告があり(Elbers, 1999)、この脂肪局在の違いは性ステロイドの活性化作用によるものと考えられる。脂肪細胞から放出され摂食抑制、代謝亢進に働くレプチンは白色脂肪の部位によって分泌量が異なることが解っている。皮下脂肪は内臓脂肪よりもレプチンの分泌量が多く(Wajchenberg, 2000)、おそらく脂肪の量と局在の違いを主な原因として、女性は男性よりも血中レプチン値が高いこと(Nindl et al., 2002, Roemmich et al. 1998)が報告されている(表1)。この性差は実験動物であるラットやマウスにおいても同様であり、血中レプチン値は雌の方が高い。この性差は主にステロイドの活性化作用によって形成されると考えられている(Watanobe and Suda, 1999)。同様に、小型脂肪細胞から分泌され、中枢神経系を介して体重減少に働くアディポネクチン(Qi et al., 2004)も血中濃度は女性や雌性動物の方が高い(Nishizawa et al., 2002, Combs et al., 2003, Bottner et al., 2004)。アディポネクチンの血中濃度は閉経前後で変化しないことが判っており、閉経後に血中レベルが減少するレプチンとは異なった制御を受けていることが報告されている(Nishizawa et al., 2002)。雄マウスでは脂肪細胞によるアディポネクチン分泌はアンドロゲンによって制御されており、テストステロンやジヒドロテストステロンによりmRNA発現が低下することが報告されている(Nishizawa et al., 2002)。アディポネクチンやレプチンとは逆に、インスリン抵抗性誘導に関わるレジスチンは男性で血中レベルが高いことが報告されている(Nogueiras et al., 2003)。脂肪からの摂食関連ホルモンの中では、レプチンは脳室内に投与した場合、雄と比較して雌における摂食抑制効果が強いことが報告されている(Clegg et al., 2003)。脳内のレプチン受容体に関しても雌の方がレプチン受容体の発現が多いという報告もあり(Smith and Waddell, 2003)、レプチン分泌とその感受性の違いが雌雄の長期的な摂食量の違いに影響を与えているという仮説が提唱されている。
脂肪組織の中でも、褐色脂肪組織は交感神経系によって活性化され非ふるえ熱産生を行う組織である。エネルギー消費には性差があり、かなり早い時期から男性の方が女性よりも消費量が多い(Kirkby et al., 2004, Paul et al. 2004)。褐色脂肪細胞にはステロイド受容体があり(Pedersen et al., 2001a)、エストロゲンによって脱共役蛋白質の発現が制御されている(Pedersen et al., 2001b, Rodriguez and Palou, 2004)。また、褐色脂肪組織に分布するアドレナリン受容体の発現にも性差がある(Rodriguez, 2001)。以上のような原因からエネルギー消費の性差が発現している可能性がある。
膵島b細胞から摂食直後に放出されるインスリンは中枢神経系に働き摂食を抑制することが報告されている。環境条件にもよるが実験動物では、グルコース刺激によって雄性動物の方がより多くインスリンを分泌するという報告がなされている(Ruhe et al., 1992, Sugden and Holness, 2002)。テストステロンはインスリンmRNA発現を上昇させる働きを持つことから、この性差は精巣からのテストステロンに起因して形成されている可能性がある(Morimoto et al., 2001)。インスリンを脳室内に投与すると雄ラットにおいてより強く摂食が抑制されることから、脳においては雄の方がインスリンに対する感受性が高いことが報告されている(Clegg et al., 2003)。インスリンはその分泌形態から短期的な摂食抑制に重要な働きを持つことが想像され、感受性の違いが食餌回数など摂食パターンの雌雄差に影響を与えている可能性がある。日本人では2型糖尿病の有病率が男性の方が高いことも付記しておく(原・門脇, 2004)。
胃から放出されるホルモンで、摂食や成長ホルモン分泌を促進させる働きを持つグレリンの血中濃度は女性の方が多いという報告(Liu et al., 2002, Greenman et al., 2004)と性差がないという報告(Purnell et al., 2003)がある。その中枢神経系の感受性の性差に関する報告はいまだなされていない。消化管から放出される摂食抑制ホルモンとして古くから知られているコレシストキニン(CCK)に関しても、分泌や中枢神経系での感受性の性差に関して様々な報告があり(Canova and Geary, 1991, Kissileff et al., 2003, Strohmayer 1996, Schneeman et al. 2003, Nolan et al. 2003)、いまだ結論は出ていない。
性ステロイドホルモンの摂食行動への影響:
エストロゲン:
女性は閉経後、腹部への脂肪の蓄積を伴う体重の増加が起こる場合がある(Carr, 2003)。成体雌ラットでも、卵巣を除去すると摂食量が上昇し体重が正常雌ラットより20-25%程度増加する。体重の増加の主な原因は脂肪蓄積による(Leshner and Collier,1973)。卵巣除去したラットにエストロゲンを持続投与すると摂食量が減少し、脂肪量減少を伴った体重減少がおこることから(Bell and Zucker, 1971, Dubuc, 1974)、卵巣からの摂食抑制因子はエストロゲンであると考えられている。
エストロゲンは末梢組織において摂食関連ホルモンの分泌を変化させることを介した間接的な作用と中枢神経系への直接的な作用の2つの作用機序を介して摂食を制御していると考えられる(図1)。末梢作用に関して詳しく調べられているのは脂肪細胞への影響である。エストロゲンは脂肪細胞に働き、脂肪量の調節を行っている。脂肪細胞にはa,b型両方のエストロゲン受容体があるが、脂肪の場所や性差によってその発現量は異なる(Pedersen et al. 2001a, Dieudonne et al. 2004)。a型エストロゲン受容体遺伝子欠損マウスでは雌雄共に顕著な体重増加、脂肪蓄積が見られるのに対して、b型エストロゲン受容体遺伝子欠損マウスでは野生型マウスと違いが見られないことから(Heine et al. 2000, Ohlsson et al., 2000)、特にa型エストロゲン受容体がエストロゲンによる脂肪量減少に関与していることが判っている。脂肪量の調節と共にエストロゲンはレプチン分泌の調節も行っている。女性のレプチン値は閉経後減少することが報告されており(Douchi et al. 2002, Nishizawa et al. 2002)、血中のエストロゲンがレプチン値の上昇に関与していると考えられている。エストロゲンはin vitroで脂肪細胞からのレプチン分泌を上昇させるという報告があり(Shimizu et al. 1997, Kristensen et al. 1999, Tanaka et al. 2001)、レプチン産生を増加させることで摂食量を減少させている可能性がある。
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